Webコンテンツライターとしてのキャリアを振り返ってみます

子供の頃から文章書くのか好きでした。
ラブレターも1回便箋30枚くらい書きました。貰った方はどうだったろう。

小説的な文章というより、記録的なもの論説的なものが多かったです。
高校時代は小林秀雄に憧れたり、清水幾太郎や今西錦司、人文科学系の梅棹忠夫、KJ法の川喜田二郎等の本を読み、自分でも夜中まで書いていました。

大学に入ってからも文学部の授業を受け、梅原猛(当時立命館大学の助教授)の著作は全部、図書館にあった学内の論文集もすべて読みました。

日本語ワードプロセッサーが人生変えた

社会人になってからは、当時やっと市場に出てきたワードプロセッサーなるものに夢中になり、ショールームにあった東芝のJW-10(当時600万円)を感動的に使っていました。20万円位の液晶画面1行のタイプライター式のもの(JW-1ルポ)が発売されるとをすぐ買って一日中叩いていました。

早速、販促資料・パンフや提案書もいち早く、ワープロで作りました。当時はまだ一社に一台しかない状態で、手書き原稿をオペレータに渡して入力してもらうのが普通の時代でした。

ユーザ向け月刊機関紙「SCOPE」を立ち上げ、ワープロで打ったものを切り貼りして最後はコピー機で、というやり方で印刷して発行しました。

この頃はまだインターネットはありません

デザインとコピーライティングを叩き込まれる

紆余曲折があって、30歳の半ばころ、Y社の企画デザイン部でグラフイックデザインと商品のコピーライティングの仕事を5年ほどやりました。
これが「Webコンテンツ作り」の大きな下地になっています。

その後また3年ほどリクルートの”B-ing”と”とらばーゆ”の求人広告のコピーライターをやることになります。短い期間でしたが、毎日終電車という中味の濃い体験でした。

仕事がら、Webサーバーとかインターネットとか、ホームページに接する事が多く、また自社のサイトは自分で作ったりしました。
この頃は宮川明氏のWebコピーライティング塾を受講しました。

還暦も過ぎた頃から、Webマーケティングとかアフィリエイトとか、そういう世界に好奇心の目が惹かれるようになり、ブログ、wordpress自サイト、googleアルゴリズム等片っ端から首を突っ込んでみました。

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インターネット、ホームページの世界はとんでもなく面白い世界です。

あの頃は白い紙に漢字かな文章が活字で打ち出されてくるだけで何ヶ月も感動していたのに、

今や自分一人だけでサイト構築して、世界中に向けて発信できるのです。
行政の不条理に相対し自分の主張を日本中に向けて発信することも出来ます。

要は自分で新聞社、出版社持ったようなものです。
本当にアマゾンで電子出版することすら出来るのです。

最終的に、一番大切なのは文章を書くこと

ホームページ作りで一番大切なことは、キーワードで検索されるページを作ろうと思うなら50ページ、100ページと書き足してゆくことです。

週一くらいのペースでgoogleのアルゴリズムに沿ったやり方で原稿用紙2枚以上の文章をwordpressに書いてゆかねばなりません。

キーワードやタグ、h1の設定、見出し設定、カテゴリー,カテゴリー体系など、、構築する必要もあります。

さらにサーバツール、Google Analyticsなど使ったアクセス解析や、それに基づく”戦略”についてのコンサルティングが必要になります。

この年令になって振り返ると、人生のあちこちでこの”Webコンテンツライター”の素養を身に付けていたのだという気がします。
また「書きたい欲求」も満たされます。

嬉しいのは、Webコンテンツライターは稼げるという事です。競合も殆どなく、また年齢も関係ありません。