太陽の塔は岡本太郎の現代(器械、戦争)文明に対するアンチテーゼだった

NHK、BSプレミアム「蘇る太陽の塔」
丹下健三設計の万博中央広場(お祭り広場)はもとの設計では真ん中に太陽の塔は無かった。

岡本太郎が万博のシンボル像の制作を大阪府から依頼されて、構造物に強引に丸く穴をあけてそこに像を設置することにしたらしい。

未来とか進歩とか、万博のコンセプトに対して岡本太郎はアンチテーゼとして縄文の”はにわ”をモチーフした巨大像を置いたのです。
あまりの突飛さに、丹下健三氏の建築美学を壊すものだとか、物議をかもしたらしいです。

岡本太郎はフランス留学時からピカソに衝撃を受け影響を受けました。この絵に衝撃を受けました。(ピカソ 果物鉢 )

こちらは留学時に岡本太郎が描いたものです。

岡本が留学して学んでいたパリを、ナチスの侵攻で去らねばならない事態になりました。
さらにピカソの反戦絵、ゲルニカに強い衝撃を受け、機械部品のように人間性を摩耗し、戦争と表裏一体の技術進歩に懐疑的になりました。  (ピカソ ゲルニカ: 故国スペインのゲルニカがナチスに爆撃された悲しみで)

日本に帰国した後の岡本太郎の課題

  1. ピカソを超える「何か」を見出す
  2. 機械文明や”進歩”から人間の本来性を取り戻す

だったのです。

岡本は「はにわ」に象徴される日本の縄文文化にその答えを見出したのです

日本人の精神の核になるべきは縄文文化(縄文文明という表現が主流になりつつある)

太陽の塔は まさしくそういう岡本太郎の全身全霊なのです。

今、日本人は閉塞しています。

半世紀をへて今こそ岡本太郎が、そして蘇った万博の太陽の塔が、私たちに語りかけるのは原点復帰・縄文(の霊性、精神性)復帰なのです。                 太陽の塔地下の「地下の太陽」